2016年

9月

14日

9月号の会報を発行しました。

 先月は夏休みをいただき、ふた月ぶりの会報発行となりました。第152号となります今号では、巻頭特集として724日におこなわれました境川クリーンアップ作戦について、実行委員長を務めた山口平太郎会員より寄稿をいただくことができました。また桜美林大学地域・社会連携室の福原信広課長より、2009年からの桜美林大学の参加の軌跡について、ご寄稿いただきました。

 今号の本紙後半は、鶴川自然友の会の代表である中野進先生へのインタビュー取材から編集部による特集記事を組みました。このように今号は、町田市の環境保護の市民活動の過去と現在をつなぐ紙面となりました。町田市の市民活動の厚みがあればこそ可能になった今号です。関係のみなさまに厚く御礼を申し上げます。

まちづくりは市民が主人公

『フォルム』2000年第1号 machiDA forum

 

総会と発足大会<まちDoActionフォルム>は昨秋1123日行われました。Part1 から Part2へひきつづき議長となった佐藤東洋士桜美林大学学長の進行よろしきを得てほば満場の出席者の賛成により新しい役員が次のように決まった。即ち、会議を代表するチェアパースンには佐藤東洋士議長の他、柿原ユキ子副議長(財務)及び渋谷謙三副議長(事務)、総務セクレタリには村田弘、提中勇、峰行敏夫、富田勇、山口平太郎並びに林裕克(会計)、佐藤武信(監査)の各氏。幹事プロモータには岩上誠次、清瀬壮一、松前昭広、湯浅起夫、佐藤勲、近本明、田中誠、桜井朋宏、小林美知、藤田学、樋渡敏彦の各氏である。

 

市民会議の目的は?

「まちづくりは市民が主人公」とはマザープラン冒頭文です。市民会議は自主的に行政や企業などと、もっと広く柔らかな、包容力ある対話をうみだす母体を目指します。

活動の基本方針は?

(1)主人公となるため、学生から高齢者まで、階層ジェンダーをこえてだれでも自由に個人参加でき、具体的なアクションを通してまちづくり意識や能力の水準を上げる。

(2)市民と行政が共に考え、協働できるように具体的なしくみや制度をつくる。さらに法人格を早い機会に取得する。

(3)徹底したオープン討議を旨とし、会議員を通してさまぎまなアクションを、ひろく一般市民に理解され、さらに参加もうながすよう手立てする。

 

 つづいて太平館の大講堂の壇上にアクションごとのプロモータが呼び上げられ、チーフがきまり、出席の役員が具体的な活動について熱弁をふるった。

アクション参画(峰行チーフ、渋谷、佐藤勲)

アクション護美こみ(佐藤勲チーフ、小林美知、松前)

アクションまち並(清瀬チーフ、村田、富田)

アクション文福(柿原チーフ、佐藤東洋士)

 会議場の43名にのぼる参加者の中からいろいろな意見交換や質疑応答があり、有益なものは取り入れることとした。休憩時 a s u岩波映画「世界の道路と都市」上映を三分の一で打ち切って時間を調節、最後の記念講演に入った。まちづくりに江戸の想像力をと力説する着物姿の田中優子法政大教授の「江戸から見る町田市」は二時間にわたり聴衆を魅了した。次のページにその要旨を掲載する。

 

D o A c t i o n!だより

文福  田中優子法政大教授の記念講演が大好評でアドヴァイザ候補に押された。他にも、講演をして欲しい大学教授や専門家の名があげられた(199912月1日)

 

参画  峰行チーフが了承された。佐藤提案により、卯月慎一氏を招いて市民参加学習会を何回かもつことにし、公民館の協力をもとめる。清瀬、インターネットにより全国の自治体から情報をあつめる。

 

 

護美  佐藤勲チーフを互選した。市のバスを利用しリサイクル文化センター、子供センターばあん、ごみなどの施設見学から玉川学園地域ミニバス路線、ふれあい桜館などを視察する。岩上主催の<緑の尾根を歩こう会>参加をすすめる。

 

まち並 清瀬チーフの提案により霜村JIA幹事に依頼して、世田谷センターの見学と、街が町田と似た実情の自由ヶ丘を踏査する。

 

文福  柿原チーフを互選した。松前提案により関岡済生会の西島医師を招き女性の目から見た福祉問題を学習する。

 

会報  機関紙発行すべきとの渋谷副議長によるサンプル提示があり、総務セクレタリが中心となり会報として早速「フォルム」2000年第一号をつくることになった。

 

定例  会議を第二、第四土曜夜にとの要請があり、町田Campusゼミに於て6時半から二時間ときめた<連絡ピンク電話042728-xxxx>尚都合の悪い女性会議員のための特別な日時は別にもうけることになった。(1211日)

 

S会  会則に準拠して峰行担当による細則の検討をはじめた。    (1213日)

 

頌春  2000年元旦も無事に明けましてあめでとう!初の総務セクレタリ会は七草の翌夜、対話形式でじっくり細則の検討をつづけた。 (200018日)

 

S会  正月気分ぬけきらぬまま、細則の第三回目の検討がおこなわれた。この日初めて財務会計監査が揃い「町田まちづくり市民会議」の銀行口座が富士銀行町田支店に柿原ユキ子副議長名義で開設されたと発表。(115日)

 

P会  新年最初の幹事プロモータ会は岩上提案のアクション部会の分科化について討議した。無理なく、新鮮なテーマにしぼり参加しやすくするため下記にきめた、

a.市民参加・まちづくり条例特別委員会をつくる。

b.残りはつぎの四部会としたが時間切れで実行案は次回説明となった。

 水と緑(住環境をふくめ)、ごみ、教育・文化・福祉、まち並(道路、交通、景観)。清瀬提案「高幡不動まちづくり見学」が示された。

 

 

細則  最終の修正を経て了承された。ただし随時改正はできるものとする。

 

連格  クラスタ図案を文書用に配列しなおした峰行案で実用して見ることになった。(122日)

・・・・・・・・・・・・・・・昨秋の発足大会より丁度ニケ月経った日(文責:村田)

 

 

『江戸から見る町田市』-まちづくりに江戸の想像力を-

                法政大学・田中優子教授 述

A.江戸は関東八州の要として急速に発達した城下町、自然と調和した人口百万の世界一の大都市でした。河川や運河、水路に道路と橋が縦横につながり大量輸送は水運で、例えば江戸湾から遡上して遠く小江戸といわれる川越まで達していました。後で写すスライドに見る広重の浮世絵の約80%に水面が描かれていますが、実用の舟なども美しい風景の一部になっています。江戸は水の都市でした。

 

B.武士のまち江戸は町人の大坂とくらべ緑が非常に多かった。それは各藩が江戸市中に上、中、下屋敷など、その数270といわれる藩邸をかまえていたからです。大名の屋敷のなかには長屋があり武士が住んでいました。今なら県などの地方自治体が各自ビルを東京にもち、アパートメントを付属させていたわけです。現在都内の大庭園、大学、官庁、ホテルがその跡で、植木職人が大勢管理し、百人組など下級の武士は自らツツジ栽培や鈴虫コウロギ飼育を野菜づくりと共に内職としていました。

 

C.江戸は西洋の城郭都市と異なり内部に自然をとりこみ機能させていました。上水道は井の頭池など水源から上水路で町の近くまで引き、町中は地下に木製の管路を巡らし長屋の中庭の井戸まで飲料水を供給しています。住民は井戸から甕に水汲みします。

  江戸にはパリ式の下水道は要りません。屎尿は買い取られて農村へ運ばれ上等な肥料となりました。大名屋敷は栄養がいいので高価、契約が大変だったそうです。

 

D.江戸には建築職人など大集団がいましたが、川屋すなわち厠の禁止、水運が盛んゆえゴミの投棄も禁止で埋立地へ舟輸送し畑にする。わずかな生活排水を除けば100%リサイクルでき、世界一清潔で疫病もない。虎烈喇などは幕末に外来したのです。町内で住民は登録され木戸番が夜間警備する安全な都市でした。(40枚のスライド))

 ①上水の南側は桜などの並木とし、留山、留木を指定して森林保護。急流の河川は横に流し、河原や低地を氾濫用に残す。明治以降の川際開発用直角放流とは考えが異なる。工事は町や村人が自ら施工管理し、多忙な場合に人を雇う。

 ②竹は生活必需品の材料で、ゴミになったあと、焼いて灰とし肥料化する。着物の布地も修理再生のあと、瑞ぎれまで使う。ほどけるように縫い、ほどけたあと針穴なしが運針上手。行灯の暗さでも感触たよりにできる。

 ③行商人は歩くコンヴィニェンスストア。女も出来合い食品でマネジャー、アルパイタとして働く時間ができた。専業主婦は大名大奥のみ、令嬢や遊女は時計の刻合せ役。時計を装飾品とした中国に対し日本人は国産化し実用品とした。

 ④行灯でも墨の黒さと文字の形で読書可能。読書人口多く貸し本屋繁盛。浮世絵は上質紙に刷るが戯作はなんども漉き返した再生紙に。この帯は七十母の二十の時のもの。

 ⑤島柄や絣の木綿布はインドから英国、日本、東南アジアに輸出された高級品。英国は産業革命でプランテーション植民地に逆輸出し、日本は国産化し技術職工を作った。インド、ジャワ更紗、黒ビロード、深川芸者の黒帯、砂糖、染付磁器など同様。

 

E.大都市江戸は農村と有機的に結ばれていて、紙は浮世絵から大量の書籍まで、着物の布地も灰になるまでリサイクルされ、糞尿の肥料化をふくめ食料は自給率100%でした。絹織物は八王子などで出来ても、中国の絹原料はなかなか国産化できず幕末にやっと追いつき十九世紀、世界への輸出国となりました。

 

F.食料はまず狭い地域内での自給率を高めねばなりません。カロリーベースで41%の自給しかできない現在、輸入食料に含まれる防かび剤が生ゴミを通し地中の微生物を殺してしまい、それが環境破壊につながります。自給率を高めれば生ゴミリサイクルで安全になっていくのです。

 

G.河川運搬を盛んにしてトラックを減らす。水を邪魔者にせず水とつきあいを深める。環境問題は森林を皆伐してしまった失敗から欧州が学んでいまや先進国となっているのです。インド職工を失業させアフリカ奴隷を使った英国と異なり、江戸はインドの技術を国内経済に取入れ循環できるリサイクルシステムをつくった。維新後東京政府は近代化と称して英国式に切り換えたのが現在の問題につながっているのです。

 

H.町田市という地域の内だけでなく外にも意識を向けて世界につながりを求めること。日本は金銀の輸出国の当時ハイテクの中国インドから高級品を買物できた。ところがポルトガル、スペインの南米大陸インヂオ文明破壊、アフリカ奴隷による金銀収奪によりマニラ港での中国絹取引となり、日本は敗退したのです。朝鮮侵略からはじまる秀吉のアジア拡大主義も挫かれました。江戸時代はその反対の路線でした。

 

Ⅰ.江戸時代は買物から自国生産へ。識字率を高め、武士や町人子弟は漢語オランダ語を職人は目的別に教科を習い自分の机を寺小屋に運びこんで個別に勉強しました。

 

J.まちづくりは講や結いで協力し、行政でなく自ら実行することが常識でした。議会にあたる寄合いで徹底的に話し合い100%投票の多数決。長は居らず村方三役の一人が関西では庄屋、関東では名主として幕府役人と交渉するのです。町では年寄三人、町名主が百人いて玄関裁をする、その他は大家が裁き、少ない町奉行は大事件のみ。

 

K.富の偏りはよくないことだった江戸。税金は農民の年貢が主で村請、組請ができた。のち町人に運上金が課せられました。買い占め米商人にはデモをかけ蔵打壊しはしても盗まぬ殺さぬ知恵があった。女性は織物職人として現金収入あり強かったのです。

 

L.連という十人二十人の集まりが大都市に起こり、始めは文化面で遊び心から俳諧、文学から落語まで、のち町づくり工事面で結いが日常的なつきあいとなりました。先ず510人から始め、閉じないで横につながっていく連はNPOなのです。NPOがノーベル平和賞をとったのも、江戸時代既に存在した連をインタネットで組繊した現代の連といえるでしょう。今は個人でではなく連で平和賞をとる時代なのです。

以上。

*【この記念講演は】19991123日、町田市の桜美林大学太平館講堂にて二時間に亙り行われ、教授は町田まちづくり市民会議員として寄付されました(文責:村田弘)